うらぶろ

目に見えない世界のことをつぶやき

今更ながらのホ・オポノポノ。自分の心の囚われ具合に気づく。

こんな本を読みました。

ホ・オポノポノの「クリーニング」という手法について、かなり実践的に細かく書いている本です。ここ数日はまってやっていました。で、わかったのが、この手法を使うと物事をありのまま認識できるということ。

人間って、結構物事をありのままに認識できてないし、そのことに自覚的ですらない。でも仏教なんかで言っているのはこういうことなのかなーと思います。

たとえば、イチゴを見たとする。
イチゴをそのまま「イチゴ」と認識できるひとは案外少ないと思う。多くの人が「これ美味しいかな」「前食べたときは酸っぱかった」「値段たかいかな」などなど、これまでイチゴを見たり食べたりしてきたときの記憶・感情・感想・期待感につられての【判断】。これは雑念とも言える。

判断は「ありのままの認識」ではない。

 

ホ・オポノポノのクリーニングをすると、この【判断】をリセットできる。リセットしたら、素直にありのままにイチゴを認識できる。つまりこれまで蓄積させてきた囚われとも信念体系を解放するとも言える。

で、イチゴだとピンとこないかもしれないけど
・お金
・人間関係
・仕事
・将来のこと

について、人間は多くのあらゆる【ネガティブな判断】をしている。つまり、自分が思っている以上に、過去のかたよったorネガティブな記憶・感情・感想・期待感などを、対象となるモノ・コト・ヒトにベッタリなすりつけている。

クリーニングは、このベッタリとくっついている過去のネガティブな記憶や感情や期待感を剥ぎ取ってくれる。

 

これをやっていくと、過去のトラウマ解除にもつながる。具体的な記憶は思い出さなくても、これをやっていくと自分の心の動き方がかわる。たぶん、心の動き方のクセを整えて、その人の「中庸」にもっていってくれるかんじ。

ホ・オポノポノって今までなんとなーく近寄りがたかったんだけど、この本ではすごい確信をついた内容が書かれていてかなり参考になりました。

整体師なんだけど裏がある営業品目的なおはなし

いちおう表の肩書としては「整体師」をやってますが、ここ3年くらい精神とか心理とかから始まり、自己啓発とか精神世界とかスピリチュアルとか目に見えない世界のことを探求するようになりました。

で、気づいたら、いわゆるスピリチュアルというかヒーリングというかワークというか、そういうのが出来る人間に。

この3月に自分の能力の棚卸しとか、今後どうしていきたいかを考えていたら、「自分の純粋な意志・意図を理解することができ、それで自分の人生を作り上げられる人間になること」というテーマがでてきました。

まあ、純粋な意味で「自分の意思を打ち立てる」って人間にはマジ無理だったりはするんですけどね(オイ

すくなくとも、同じ人間同士の思惑で共依存状態からはぬけだしたほうが、もうちょい幸せなんだろうなと。

人間は高次元の存在の操り人形的や奴隷である、という考えや目線も当然ありますが、その考えに自分を明け渡すと、一気にこの世での生活はハードモードになります。

まあ、たかだか数十年、地球でもっと楽しく人生おくって、その後は地球に輪廻するんだか、宇宙だか星だかに還るんだか。死んだあとに決められると考えておいて、とりあえずは他人の判断基準に振り回されることなく、自分の人生を自分の意志で生きられるようになることを目指すのが現実的ではないかなーと。

 

今私が出来ることは

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●整体/肉体
心理療法/心、精神、感情
●精神世界(見えない世界)/魂、霊、意識、意図、精神、感情
 -地球や宇宙とのネットワーク
 -第二の身体(エーテル体、気など)、人との感情エネルギー、人と関わることでの世の中の仕組み
 -エネルギーを妨げるブロック外す
 -見えない世界(宇宙、引き寄せなど)の仕組み

 ◎ホロスコープ
 自分のマニュアルを認識して各自が好きなこと、得意なことをする。

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という感じです。1対1の施術や、個人レッスン形式のヒーリングだかワークだか(名前は何でもいいのですが)のほうがいいかなと。

 

スピリチュアル系のワークとかって、変にカッコつけてというか、肩肘張ってやってるのが多い気がするのですが、もっと自然にナチュラルに「ちょっとあのサロンで肩でももんでもらおう」くらいの気安さで出来るもんなんですよね。

 

それくらいの価格帯と、だけど人を依存させない姿勢というのを目指してやっていこうと思います。

瞑想とはなにか。そしてその効能効用

瞑想とはなにか、と言われると正直わたしにはよくわからない。

私にとって瞑想の効能で確実なことは、自分にあった適切な瞑想というのは、硬直した思考回路を解体し、適切な思考力や直感や肉体の疲労除去に貢献してくれるツールのようなものだということ。

瞑想は、いわゆる「ゾーン」を意図的に作り出す手法かもしれないし、そうではないかもしれない。個人的には瞑想状態にうまく入ると、たった数秒でも心身がリセットされる。

ラジニーシは瞑想について、技巧があるわけではなくコツを掴めばいい、実は瞑想状態には誰しもおちいったことがあるとしている。

ただ、意図的にしていないと、人生に訪れる瞑想の瞬間というものを捕まえることはできない。そもそも捕まえようとあがいても、コツを掴まなければつかめない。

今の私の個人的な意見として、瞑想とは忘我の境地、空間との一体化・調和の境地、静寂の境地みたいなもの。

で、私は長くはできていない。多分。ほんの数秒から十数秒。ながくて数分。ただ最近は「ゾーン」状態にはいれる時間が長くなっているので、ゾーンも瞑想だとすれば数時間は瞑想状態にいるのかもしれない。

で、そんな怪しげなものをおこなうメリットはあるのかというと、大いにある。

特に都市部に生きる人にとっては、瞑想状態を一日に数秒レベルで断続的にするだけでも、心身に疲労蓄積や精神の安定化、仕事のパフォーマンスに大いにかかわる。

日々を、なんとなく息苦しい感覚。自分の人生はこの程度かと諦めている感覚。そんな感覚がある人は、瞑想を取り入れると人生が変わる。

瞑想すると、「この程度と思っていた人生」という主観を変えられる。主観を変えるということは自分の人生を創造するようになっていくということ。この程度、とおもう人は他人の評るからだ。
価や影響に振り回されて、自分の本来の生き方をできていないことに無意識に気づいてい
それはチャンスでもある。他人に思惑や評価にどっぷりと同一化した人間は、そもそもそういったことに気付かない。自分の首にかけてある鎖の重さを自慢し、「世間」「他人」という名前の主人の意図に振り回されることに喜びを覚えているのだから。

https://www.osho.com/ja/read/osho/osho-on-topics/topic-136

2019年春分と西洋占星術と愛について。トラウマを溶かす。

昨日は春分。で、ホロスコープの世界では太陽が牡羊座のスタート地点にまいもどる日。昨日から新しい幕開け。

で、とあるサイトを見て気付いたのが、太陽と「キロン」がおなじ位置にいる。キロンはトラウマを表す。で、太陽と同じ位置にあるというのは人生の表側にそれが溶け合うという意味でもあるし、あぶり出されやすいとも言える。

個人的にもここ数日は自分の内面にむいてトラウマ的な記憶(ほぼ恐怖、不安、恐れの感情)に気づき、それを「愛に変える」という手法をやっていた。

愛、というとなんだかいけ好かない感じがするかもしれないが、これは「愛」の定義によると思う。キリスト教会的な愛、キリスト教圏的な愛には個人的には胡散臭さやコントロールしようとする意志を感じる。

愛というものは「全てのものをそのまま、ありのままの状態で善しとし、そのまま認めるうけいれる」姿勢や原理や状態やエネルギー準位なのではないかなーと私は今の所定義している。そうなると「愛に変える」という行為は、恐れを見つけたとしても「それをそのまま受け入れ認める」ということなだけで、愛欲や恋愛や愛情や情愛とは違うスタンスとなる。

人間は、人間に向ける「愛」よりも、更に純粋な愛を動植物に向けやすい気がする。ペットの犬や猫や鳥などに対して「こういう状態にならなければ愛さない、世話をしない」と条件をつける人はそんなにはいない。動物のそのまま、植物のそのまま、ペットのそのままをうけとめ、その上でどう接するかを考える。ところがそれが対人間になるとできなくなる人も多い。

だから、人間に対しての接し方を「ペット基準、動植物にむける純粋な気持ち基準」にしてみると良いのかもしれない。ペットに向ける愛のほうがよほど純粋で濁りがすくない。私達は心に濁ったもの・・・欲望、コントロールをもてばもつほど自分自身の首をしめることになりやすいので。

で、まあ、昨日は春分で満月で、さらに太陽とキロンが溶け合うというパワフルな祭り状態。気候もよく汗ばむほど。牡羊は「活動の火」であり始まりの「1」。人間自体のエネルギーも火に例えられる。この活動の火に、人生の表の目的である太陽に溶け混じったキロン。火でトラウマを燃やしつくし、それを純化させる。

と、考えると、この春分のパワフルな何かを、自分の人生にいい感じに組み込めるかもしれない。

感情というエネルギーの取り扱いについて

「感情」の取扱についてなんやかんや考えている。

感情というものには大まかに二種類あってネガティブ=悪い、ポジティブ=良い、と捉えられている。

だが、いくらポジティブであっても、感情に飲み込まれて振り回されていると自分を客観視できず、本来の生き方をすることができない可能性がある。

また、感情をタテにコントロールしたりされたりする。大まかな意味での共依存

感情に飲み込まれて感情そのものになって行きていると、物事を適正に分析評価できない。ポジティブ=善、ネガティブ=悪という図式だけで動く。

人の善意、というものがそもそも自分に必要なのか?善意とはそもそも自分にとって何か?なぜ善意にすがるのか、それを「良いもの」と考えているのか?

ということを考えると、自分の図太い欲とかサガとか恐怖とかを客観視できてよい。客観視すると、人というのは振り回されすぎ無くなっていく。

良い感情に飲まれるというのは祭りのようなもので、悪いことではないが、それが日常化し誰かからのコントロールを無意識にうけているのであれば、その点は自覚化したほうがよい。

善意や「ポジティブ」な感情に飲み込まれる人は、その逆にもたやすく飲み込まれる。ヒトラーやその側近がその思想でたやすくヨーロッパを席巻したのも「感情に飲み込まれる人」の盲目さにつけ込んだからとも言える。