うらぶろ

目に見えない世界のことをつぶやき

発達障害の改善手法メモ

『人間脳を育てる -動きの発達&原始反射の成長』(灰谷 孝)より

 

<重要>
●筋肉には大→小(例:眼球筋)発達順序性があるので、大きな筋肉を発達させないと小さな筋肉の発達がむずかしい p21

●発達の土台
<発達のピラミッド>
呼吸、感覚、動き(姿勢)、言語、学習コミュニケーション p22

胎児期、乳児期の「やり残し」があるためにベーシックな動きができていない

→発達段階を飛ばしていると、得手不得手に大きな差がある。そして親子で伝染する可能性がある。

●動きの4段階

1)脊椎
2)相同性
3)同則性
4)体側性

<脊椎性>
脊椎(=背中、腰)を実感できていない。
だからハンモックに背中からはいれない。
→提供された選択肢からしか選べない。自分で選択肢をつくれない。自分が何をしたいかわからない
 →バランスボールに背中からのる、ヨガで四つん這いになって背中を意識する
 →これができると「前後」の認識を獲得する

<相同性>
左右を対称につかう身体の動きのこと
はいはいしない、「いざる」(座ったままで進む)の人。はいはいしないでいきなり立った人。
相同をクリアすると何でもやり出す。自分の考えで行動できるようになる。感情の発露。

※相同を育てているときは、大きなボールを手に取って両腕で投げたり押したりする。

<同則性>
右と左が別々に使えるようになる。

片足跳び、マグロの回遊、片側だけを使う動き

※同則を育てているときは片側の半身だけでボールを投げたりしている。

※この時に「正しいフォーム」を教えない。自分の発達に必要な動きを取得中なので大人が邪魔しないこと。

※同則ができているかどうかは、反復横跳びをやらせる。片側でとまる力がそだっていないとスムーズに動けないので。

○脊椎=信念
○相同=感情の適切な発露やバイタリティ
○同則=身体や情動、行動の切り替え

<体側性>
左右が違う動きをしながらスムーズに連携できている状態。
椅子にすわり、右手にお箸、左手に茶碗をもってご飯がたべられるのはこの状態であり、ここで人間の動きの土台が出来たといえる。

====================
★子供の発達状態を見抜くポイント

○子供と「本気で」大人が遊ぶと、その「本気の遊び」のなかで子供は自分に必要な動きを発達させ獲得する。お互いに影響しあうので、遊びを本気でやることがポイント。

○子供が自発的にどういう遊びを選択するかを観察する。その遊びのなかで、脊椎、相同、同則、体側の各ステージを発達させているなあというのが見えてくる。

★人間の発達は、身体的な変化があって、感情・情動などの発達がともなう。
人間の動きが魚類→両生類→は虫類→哺乳類→二足歩行と発達するにしたがって、身体が変化し、それに伴い認知状態も変化する。

<発達ができていないと>
・椅子に座れない
→脊椎が育ってないと姿勢を保てない。
→相同が育っていないと足を地面につけて座れない

・黒板の字をみてノートに書き写す
→身体の左右や、自分の正中線を認識していないとできない
 →「正中線」の認識がない子は「∞」が書けない。正中線をまたぐ動きを獲得できていない。だから八の字に歩くこともできない。

<発達は後でいくらでも取り戻せる>
人間の脳構造
脳幹:魚類、は虫類
大脳辺縁系:哺乳類
大脳新皮質:ヒト
なので、大脳新皮質のはたらきが?なヒトは、脳幹や大脳辺縁系にかかわる身体の発達状態を見直す。みなおして「発達をし忘れた」部分は、簡単な運動でアプローチし、その発達を回復させる。

<脳の発達の順番>
1:下から上
2:右から左
3:後ろから前
4:中から外

<コミュニケーションの順番>
反射→反応→対応

反射は「口に何かふれたら閉じる」というは虫類(脳幹)レベル:思考と感情を介さない。
反応は「快か不快か」のようなもの(動物と人間の中間レベル)
対応は「社会的態度」。いわゆる人間らしい態度。人間社会のなかでよりよく生きるための脳

診断名(ADHDだ~発達障害だ~)よりも大事なのは「土台ができているかどうか、どこかの発達が抜け落ちていないか」。

脳の発達を「下からつみあげる=脳幹→大脳辺縁系大脳新皮質の順番で発達させる」をしないといけない。そのためには身体感覚、体性感覚へのアプローチが必要。

これは、体性感覚→視床→感覚野:脳幹網様体視床→大脳へと通じる経路のこと。

<行動をおこせないヒトの脳の特徴>
頭でっかちなヒト。
頭でっかち=思考と行動のギャップ。身体性をおきざいにしている人。
行動することで自分を変える習慣に乏しく、新しい行動を自らおこすのが苦手。
特に大人になっても「原始反射」が残っていると行動にブレーキがかかりやすい。

※原始反射=赤ちゃんの生き残り機能

原始反射は脳幹時代にやり残したことがある。
すると生き物の基本戦略「戦う」「固まる」「逃げる」の思考反応にはいりやすいので「思考・行動がストップする(固まる)」
「関わらない、目をそむける(逃げる)」
を選択し、行動しにくい。

この段階の人は、今までやったことがない新しい行動は自分に負荷をかけることなので選択しにくい。こういう人は「新しい事にチャレンジしたい」という気持ちをもっていても、生物の基本戦略のおげで行動しにくい。

この不一致を解決するために脳内で「言い訳」をつくりだす。傍目からみて言い訳が多く行動できないという人は、実は原始反射を色濃く残しているため、そのようなループに陥っている可能性がある。

→悪意があるわけではなく、生物の生存戦略にそっていったらそうなってしまう感じ

<身体アプローチは”無意識”を育てる>
無意識=
・固有受容覚=筋肉の曲げ伸ばしなどを脳に伝える感覚=私はだれか、どこにいるかの感覚=私と非私の境界、物事の境界をみわける能力=社会のなかでの自分の立ち位置を見分ける能力

・前庭感覚=身体をまっすぐに保つ=私はどこに向かっているか=自分の目的にむかってパフォーマンスを発揮する
・触覚
・内臓感覚

<脳の三つの役割>
・健康維持
・能力発揮
・生き残り:3F=逃走、逃避、凍結

発達障害や自律神経失調などで「生き残り」に脳のパフォーマンスをとられると、残りの「健康維持」「能力発揮」がおろそかになる

<原始反射>
・恐怖麻痺反射
→受胎後5週目(心臓、肺はできているが、脳と身体の神経はつながっていない状態)から出始める。その後、胎児の触覚→前提感覚→固有受容感覚→聴覚が発達してくるとこの反射からは通常卒業する。
(~妊娠9-12週、誕生時に統合)

→雰囲気を察知して固まる。おなかのなかみいるとき、母親のストレスをもろにかぶらないように。だから親の雰囲気でガラッとかわるケースあり。

主に背面が固まる。

※金魚体操、ワニ体操、腹ばい呼吸などで統合。

※親の雰囲気が子供つたわって固まるので、親がリラックスするだけで子供の原始反射が統合に進みやすくなる

※ふくらはぎ、膝裏をさわるだけでリラックスする。足の親指をそっとうごかすとふくらはぎゆるむ

・モロー反射:通常生後6ヶ月で統合
→大きな音などで驚くと手足が広がり、その後ゆっくり何かを抱きかかえるような仕草をする

警報のような役割。これが残っていると過敏性の病気・症状がでやすい。
また目の筋肉が未熟で注視ができない。なので本を読めない、多動、他のものに興味が移る、話す人のほうを見られないなどが出てくる。

モロー反射の統合は、相同の段階クリアにつながる。

そうすると脳の分化がすすみ、左右の脳で別々の働きができるようになる。見え方(視覚や認知)も変わる。両眼視、立体視ができるようになる。遠くから近くを見るピントをあわせる見方が出来るようになる。(動眼神経に影響があるといわれている)

また、原始反射が残っていると「生き残り戦略」に脳がエネルギーを振り分けるので、人間らしい能力開発などのほうに回せない。シマウマが、常にライオンに見張られているような状態でストレスがかかってるイメージ。

※恐怖麻痺反射とモロー反射が二大反射で、発達を阻害する大きな要因となりやすい

<呼吸について>
・二大反射がのこっていると「肺進展反射」がききにくくなり呼吸できにくくなる
・へーリング・ブロイウェル肺進展反射→呼気
・恐怖麻痺反射は引き込み反射。吸って固まる。吐くのが苦手。
・モロー反射があると吐いてとめるので、吸うのが苦手。

風船ふくらます、シャボン玉、ろうそくやティッシュを吹く、は有効。
吹き戻しの「ぴろぴろ」のおもちゃも有効

<足裏の原始反射統合>
プランター反射→バビンスキー反射
プランター→お猿の赤ちゃんがつかまるように、ぼしきゅうに刺激あると足指をまげる→これが残っていると足裏が使えず、ふくらはぎ固まる

バビンスキー→親指に力をいれて地面を蹴る準備としての反射。はいはいしやすくなる。

足の裏をつかうことで統合
→素足で地面、マッサージ、竹踏み、足指じゃんけん、トランポリン、木登り、鼻緒のあるものを履く

<その他の原始反射>
●緊張性迷路反射
→首をまえにやると手足がすぼみ、後ろにやると手足が広がる
 →空間位置把握に関する反射

●探索・吸てつ反射
→赤ちゃんの口にふれると、その方向に向く

●脊髄ガラント反射
→赤ちゃんが産道を通るときに必要なお尻の動きを助ける
 →この反応を保持していると、腰周辺に刺激があると排尿・排便してしまう。

※おねしょをする、背もたれのある椅子にすわると反応してしまいモジモジしている子はこれが残存している可能性あり

統合方法:クロススクロール
→背面で右手=左足、左手=右足をクロスする動きを交互にやる。

●対称性緊張性頸反射
●非対称性緊張性頸反射
●足底反射
●新生児プランター反射
●バビンスキー反射

----
以上

村上春樹の「うなぎ」とガイド

精神世界でよく「ガイド」ってでてくるじゃあないですか。
天使でも神様でも狐でも守護霊でも龍でもなんでもいいんですが、そういう自分の脳内で話ができる別人格というか別側面。

 

それって、村上春樹のいう「うなぎ」と一緒だよなーとふと思ったんですよね。

 

うなぎ、というのは、村上春樹が小説を書くときに呼び出す第三者。小説を立ち上げる時に召喚するんだそうです。

そのへんの下りを、『柴田元幸と9人の作家たち』という本のなかで村上さんは語っております。

blog.tatsuru.com

==以下引用==

 

村上:僕はいつも、小説というのは三者協議じゃなくちゃいけないと言うんですよ。
柴田:三者協議?
村上:三者協議。僕は「うなぎ説」というのを持っているんです。僕という書き手がいて、読者がいますね。でもその二人だけじゃ、小説というのは成立しないんですよ。そこにうなぎが必要なんですよ。うなぎなるもの。
柴田:はあ。
村上:いや、べつにうなぎじゃなくてもいいんだけどね(笑)。たまたま僕の場合、うなぎなんです。何でもいいんだけど、うなぎが好きだから。だから僕は、自分と読者との関係にうまくうなぎを呼び込んできて、僕とうなぎと読者で、三人で膝をつき合わせて、いろいろと話し合うわけですよ。そうすると、小説というものがうまく立ち上がってくるんです。

 

==引用ここまで==

 

で、村上春樹は「小説」という世界をよきものとするために「うなぎ」を召喚する。

それと同じように、人間はガイド(でも守護天使でも何でも:以下略)を召喚するのかなと。人間は「自分と、現実世界」のほかに第三者の関係者としてのガイド。自分や現実を変えていくのにガイドと話し合ってなんとかしていく。

 

そう考えると、スピリチュアルでいうガイドというのを設定したり、もしくは脳内でうまく「自分会議ができる」というのはとっても効率的に人生を改善するのによい手法だと思うのですよね。

 

ガイドとか自分脳内会議が、どんどん沼になったり変な方向にいくのはアレですけどね。

本が読めない(ディスレクシア)時はフォントを考えてみよう

togetter.com

「書体を変えたら本を読めるようになった」は、実は本が読めない子にはよくある話。
本が読めない、教科書が読めないという人は書体や行間、ページの文字数(空白度合いなど)によっては読める。

あと、実は色つきの眼鏡(度数なし)をつけると読めるという報告もある。このばあい、いろいろな色のセロファンを本の上にのせて、どの色を通すと一番読みやすいかを試す必要はあるが。

感情は麻薬。ポジティブもネガティブも。

ある感情にどっぷりと浸り、それに振り回されるというのはある意味心地よい。

それは、刺激的な映画やドラマのストーリー世界に入り込んで、喜怒哀楽の感情に共感しジェットコースターのように上がり下がりを楽しむのと同じようなもの。

自分の行為や行動を客観視するように、感情と一心同体になっている自分を客観視してみると、感情は麻薬のようなものだという事に気づく。

 

世に言う「ポジティブな」感情であれ「ネガティブな」感情であれ、それぞれにとって常用すると麻痺し、癖になりパターン化し、繰り返す。

完全に感情から離れて客観視するというのは、ある意味つらい。あまりにも深く感情と一心一体化しているのなら、感情を自分から切り離すというのは人生の悦楽を捨てるのと同義だからだ。慣れきった手順や方法を手放すというのは、多かれ少なかれ恐怖を喚起する。

 

しかし、すべての感情を客観視し、突き放してみると、新しい側面に気づく。私たちは感情を重視するあまりにあまりにも多くの事を取りこぼしてきたことを。

人を操るのは簡単

人を操るのは簡単で、その人たちの“外”に正解がある、とすり込めばよい。

正解は、常に自分の中にあるものなんだけどね。そして、その正解はその人にとってのものだから、他人に押しつけてはいけない。

 

指紋のように、人はすべて違う。ルーツ、由来、DNA、ミトコンドリアエピジェネティクス、思考回路、パターン、、、何から何まで。

思考とは。

さいきん思考とはなんだろう、と思う。

 

自分の心の動きを観察していたら、思考と信じていたものは

・過去への後悔や罪悪感
・未来への不安や恐れ


にたいする反応なだけだった。

本当の思考、は多分こんなものではないのだろう。

 

重い感情、否定的な感情に起因する思考というのは、結局はそれらの感情に振り回されて生成された副産物であり、思考を装った何かでしかない。

 

で、よく「今を生きる」なんていうが、逆に言えば「未来への不安や期待・過去への後悔や罪悪感」で思考を多数しめている場合、脳は常に「未来や過去」にしか行っていない。

 

「今、感じている心の動き、思考回路、味わっている経験」に集中することが、今を生きるということなんだろうけど、これがなかなか難しいんだな。

 

とりあえず、未来や過去の「感情」に振り回されることをやめて、SNSやテレビを見る頻度を少なくし、本を読んでいろいろ考える。

期待する、ということの意味

ホ・オポノポノのクリーニングをやっていて気づくようになったのは、私は普段かなりの割合で「見返り」を期待する心の動きがあったこと。
これをやったら何かいいことあるかも、あるに違いないというような微かな期待の心。

で、こういう「期待」の心って、自己啓発とかスピリチュアルではよくないとされているのよね。理由としては下記の2点を引き起こすから。

1)期待の心があるということは、自分の潜在意識の前提自体が「自分には期待通りの事が起らない」という意識前提である。もし、「期待すること」が「当たり前のように起る」という心持ちであれば、そもそも「期待」自体がありえないから。

期待をする、ということは「自分には期待通りの素晴らしいことがおきない」という潜在意識の前提事態を引き寄せているともいえる。

2)期待するというのは、欲である。エゴの欲。
エゴというのは過去の自分の経験に基づいて判断しがち。欲がある、というのは自分の可能性や未知数を過小評価し制限する可能性がとても高い。そのため大きなチャンスにつながる言動・行動を無意識につぶしていく。

エゴにとっては「これまで通りの過小評価した自分」を再現し続けていくのが一番の心の平穏なので。

上記1)2)とも、自分の本来の人生や本質というものにとっては余計な心の動きともいえる。だからクリーニングでもなんでもいいけど、こういう細かな心の動きを感じ取って、それがいまの自分に(なりたい自分に)要か不要か選択できるというのは、とても大切なことだと思う。